モナロン誕生HISTORY

新しいことへの挑戦

ある年、私は新婚旅行でヨーロッパへ行きました。
もともと、スイーツ好きだった妻は、フランスでスイーツの名店という名店を
巡り歩くプランを立てていました。
私も当然ながら興味はありましたし、楽しみにしていました。

フランス

フランスに到着した翌日。
フランスの中心地を歩きながら目にした光景。
それは、ショーウインドーに飾られた、目にも鮮やかなカラフルなスイーツの山でした。
感動にも近い衝撃を受けました。
どの店を見ても、どこに行っても、オシャレで斬新。そして、カラフル。

「とにかく、新しいものを見続けなくては」
これまで以上に、強く、そう心に刻まれました。

日本に帰ってからは、東京のお客様の所へ積極的に足を運ぶようにしました。
当然ながら、お客様との打ち合わせのためではありましたが、
都内の人気百貨店の地下食品街巡りも大きな目的の一つでした。
地方でもメディアなどを通じて見ることはできましたが、
やはり、自分の目で、世界の中心・東京の「食」の新風を感じなくては。

その当時、東京の百貨店の地下食品街は、色鮮やかなお菓子「マカロン」が
一世を風靡していました。そう、フランスで見た、あの光景でした。
「あの色を、もなかでやりたい」 帰りの新幹線の中で、
既に私の心は決まっていました。

翌日から、色素の業者を何件もあたり、山のようなサンプルを作り始めました。
一日にできるサンプルの数が決まっているということ、そして実際に焼いてみないと
発色が分からないことなどで、廃棄量も半端ではありませんでした。
色素の業者、分量、配合を何度も何度も変え、日々開発に時間を費やしていきました。
当時、特に食の安心、安全が問われていた時期でもあり、次第に野菜パウダー、植物色素へと絞り込まれてきました。

野菜パウダーを使うと、「マカロン」のような、色鮮やかさが出なく、保留。モナロン
植物性の色素、クチナシを使用すると、ある程度の鮮やかさを出すことに成功。
すべてがクチナシ色素ではできなかったので、竹炭、コチニールパウダー、カカオを加え、
開発期間1年半、色もなかの皮、10色が完成しました。

そして翌年、色もなかに、何か名前を付けたいという思いから、
「モナカ」+「マカロン」で「モナロン」と表記しました。(商標登録済み)

今、思うと、妻と旅をしたフランスが、モナロンのスタートだったのです。
未熟な私は、「モナロン」誕生に少し歳月をかけすぎてしまったのかもしれません。
しかしながら、種屋業界において、弊社が初めて10色展開を実現できたことについて、
当時を振り返ってみますと、その長い年数の間の苦労とともに、開発にかけた
深い思いも、走馬灯の如く蘇ってくるほど、こだわり抜いた10色でした。

「新しいことをやり続ける」

簡単なようで、大変難しいことだと思っています。
反対する人も多いでしょう。否定的な意見を言うことは簡単です。

――「温故知新」――

変えてはいけないもの、変えなければならないもの。
その見極めは、非常に難しいです。

ただ、挑戦し続ける気持ち、勇気を忘れては、いけないのではないかと思っています。
だからこそ、これからも。
私は新しいことをやり続けたいと思っています。

三谷製菓 代表取締役 三谷憲生

もなか種の新しい食べ方提案